『民謡』 × 『アコーディオン』

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■今日のアイデア
伝統的な民謡の現代風アレンジをはじめ、今の時代の新しい民謡をアコーディオンで弾き語る、「唄うアコーディオン弾き・遠峰あこ」氏。

 

 民謡と言えば真っ先に三味線が思い浮かびますが、アコーディオンというのはとてもユニークですね。しかし、アコーディオンもどこか懐かしい響きがあるもので民謡との相性はすごく合いそうです。ぜひライブで聴きたいものです。
 
 ところでなぜ民謡とアコーディオンだったのか。そこには遠峰あこさんならではのストーリーがありました。下記記事リンクにもあるインタビュー記事で詳しく述べられています。
 

遠峰さんの肩書きは、唄うアコーディオン弾き、との事ですが、そもそもなぜアコーディオンだったのでしょうか?

遠峰「小さい頃からやってたとかじゃないんですよ。バンドは高校生の時からやってて、ギター弾いたり、あと打ち込みとか機械的なテクノだったりパンクだったり。
私、映像を作る仕事をやってたんですよ。音楽も仕事も全部パソコンでやってて、電気がないと何も出来ない自分になっているなと、ふっと気付いた時に、情けないような気持ちになっちゃって、電気が無くても出来るような音楽がやりたいと思って。
それで一人でライブがやりたかったんで、唄いながら弾ける楽器で、電気を使わない物っていう消去法でアコーディオンになりました」

他に候補の楽器は?

遠峰「ギターは、やってる人いっぱいいるじゃないですか、だから(笑)」

高校時代にバンドをやっていた時には民謡をやったりは?

遠峰「ぜんぜん。民謡を最初に聞いたのは野毛なんですよ。野毛の大道芸っていうお祭りがあるんですけど、伊藤多喜雄(いとうたきお)さんていう民謡歌手の方が毎年出てて、野毛山節っていう野毛の民謡を唄われてて、横浜にも民謡があるのかって凄い驚いて感激したんですよ。
それが高校生の時だったんですけど」

バンド少女に民謡が衝撃を与えた。

遠峰「音楽ってライブハウスみたいなところでね、同じ様な格好をした若者が『いえ~い』とかってやるのが音楽だと思ってたんですけど、多喜雄さんは大道藝で唄ってて、おじいさん達から、ちっちゃい子達まで皆で手拍子したりして。
こういう音楽もあるのか、っていうのは凄い衝撃だったんですよ」

とはいえ、そこで民謡を始めたりはしなかった?

遠峰「まさか自分が民謡やるとは、その時は思ってなくて。
大人になってから仕事で上野に住むようになってから、その頃、仕事が凄い大変で、電気まみれで、時間とかもメチャクチャになってたりして、このままで良いのかなって思ってて。
そういえば民謡ってあったな、って思い出して浅草の民謡教室で習い始めたんですよ」

映像制作の仕事はどのくらいの期間されていたんですか?

遠峰「8年くらい。けっこうやってました。お金も結構もらえたけど、凄い大変で、身体も具合悪くなってきたし。朝とか夜とか関係なく、ずぅっと起きてて何かやってたり、一週間くらい帰れないのも普通だったし、ずっと締め切りに追われてるんですよ」

仕事をやりながら民謡を習い始めた?

遠峰「そう、最初はそうですね。で、アコーディオンも始めて。自分がどういう風な音楽活動をしていけるのか全然分かんなかったから、趣味みたいな感じで、まず最初にCD作って、そのCDを売りたいなと思って、友達に誘われて野毛のライブハウスで2曲くらいやったの。そしたら、一緒に出演してた方が、すぐそこの居酒屋の常連さんで『そこの居酒屋の店長さんがライブやる人探してるよ』って言われて、居酒屋さんで流しみたいな事始めたんです」

つるりと。

遠峰「そしたら、そこの居酒屋の店長さんが野毛大道芸の実行委員長だったんです。それで『面白いから大道藝も出て』ってすぐ言われて、野毛大道芸も出れたんですよ。そんで、そのまま今がある(笑)」

これまた、つるりと。

遠峰「アコーディオンで演奏を始めたら、ウチでもやって、ウチでもやって、みたいに言って頂いたりして。一緒にやりたいっていうメンバーの人も現れたりして。凄くアコーディオンと民謡のおかげだな、って」

 
 人生というのは本当にどこでどうつながっているのかわかりませんね。
 
 ただ1つ言えるのは、自分自身の過去を振り返って一見無関係なモノ同士を組み合わせてみると、自分でも気づかない強みや生きる道が見つかるのかもしれません。
 

■記事リンク

インタビュー記事はこちら↓動画もたくさんあります。
★演者に訊く 2011年6月 ゲスト「唄うアコーディオン弾き・遠峰あこ」(藝能往來)

動画↓






 

画像:ⒸAcoTomine